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「怒られているってことは期待されているということ」が未だに理解出来ない

「怒られるってことは期待されているってこと」が全く理解出来ないゆとりです。

理解できないし、真っ向から反対の意見を持っています。「怒る=教育」ではありません。

期待されているってことは、例えば会社の部下に成長してほしいからあえて怒る。ということのはずだ。

あくまでも成長してほしいがこのこの文言の根底にあるはずだ。

でも怒っている人はただただ自分のイライラに身を任せているだけで、残念ながら相手の目線で考えていない人が多い。どういう言い方なら相手は自分の過ちに気付き、改善の努力をするのか、どういう言い方なら相手は頑張れるのか。それを考えられていない。イライラしているから余裕がないのだろう。

もちろん、相手の立場や力量を分かった上で叱ることができる素晴らしい上司もいるが。


また、例え期待していない部下であっても一緒に仕事をする仲間である以上、勝手なことをされたり、ミスをされると困るだろう。そうさせないために怒るのこともあるのだから期待されていない人でも怒られる。



イライラに身を任せた怒られ方をされると自分の何が悪かったのか分からないし、どう改善すればいいのか分からない。どうすればいいか分からないから、この仕事が嫌いになってしまうし、やりたくなる。またいくら感謝しようと思っても結局は怒ったその相手を嫌いになってしまうことすらある。


以前とあるCMで、上司に怒られてイライラしてため息をついていた若者に「どうして怒られているってことは期待されていることが理解出来ないの?」と子供が諭しているCMがあった。

いったい何を言っているのだろうかと思った。なんでこんな落ち込んでいて辛そうな状態が成長につながると思うのか?忍耐力がつくという意味で成長はするかもしれないが、そんなのはブラックを助長しているだけだ。日本人の昔の美徳だろう。




逆に成長につながると思うのが諭すような言い方や注意。

例えば『○○くんのこういう所が良くない。なぜかというと△△という理由だからだ」というように冷静で論理的で納得出来る言い方。また、「○○くん、この前△△でミスあったよ。気をつけてね。」これくらい単純な言い方。

もちろん状況によって変わってはくるが、こういう言い方であればどうすればいいのか分かるし嫌な思いもしない。自己の改善に努めようとも思うから成長につながる。これが教育ってものだろう。


「教育してくれるってことは期待されているということ」なら理解出来るが(当たり前だけど)

「怒られているってことは期待されているってこと」は理解できないし、違うと思う。



決してイライラせずに「冷静に論理的に注意が出来る人間」になりたいものだ。

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